【 -第197回- 2019年12月7日号】




食欲、睡眠欲、性欲を一般的には3大欲求と言うようです。
私の場合はこれに、物欲も追加されます。

いろいろな欲は必要だと思うのですが、これも「程度」と言うか「分相応」の量も考えないと、不幸だなと。
思ってしまいます。

かと言っても、「ほどほど」の量が人それぞれですし、平均的と言っても、平均ってまやかしですよね。

ただ、最近、「欲のほどほどの量」は低く設定する方が幸せ値が高いと確信しています。
別に向上心を捨てろって言うわけではないのです。
自分で欲と向上心を上手く使い分けれれば、人生楽だろうと言う話です。

ある部分では「まだまだ行ける」、ある部分では「こんなもんだろう」と自分に優しくしてやるってことです。

誰もがケイスケ・ホンダになる必要がないだろうってことです。

自分の可能性を信じて、興味のあることを片っぱしからかじって行くのも人生。自分の能力を仕分けして、できそうなことをやっていくのも人生。

いくらお金があっても、金、金、金。
いくら物を買っても、物、物、物。

キリがないですから欲ってヤツは。


神頼みってあります。
ここぞという時に神様にお願いする。

私は、毎月1日と15日に地元の氏神様に参拝に行きます。
何をお参りするのかと言えば、一点、「日々の生活への感謝」だけです。
二礼二拍一礼そして「いつもありがとうございます。心に平和を」と心の中でつぶやく。
それだけです。それ以上神様にお願いしても、失礼だろうと思っています。

ところが、本殿の前でお地蔵さんのように固まって、長々とお願いしている人って、結構いるのです。
冗談ではなく、5分くらい固まって、神様に何事かお願いしています。

「何をそんなにお願いするのか」不思議です。
これも欲深さの一種だと思っています。

神様には頼むより感謝するくらいの気持ちがいいのではないのでしょうか。

こういう事を書いていると、自分でも「なんだか歳とったなぁー」と思ってしまいますが、キリがないものには、自分でキリやケジメをつけるしかないという事です。

欲と折り合いをつけて、今ある日々に感謝して暮らしたいと思っています。




追記・・・・・
「欲」とおなじフォルダーに入っていそうな「夢」
夢も欲と同じく、望みだしたらキリがありません。
ところが、
I dreamed a dream.

しかし、描かないことには叶えることもできない。
よりリアルに詳細に夢をイメージする
そんなイメージができると、夢に近づくように思いますが、どうでしょうか。

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