判断力

【 -第85回- 2015年3月16日号】




先日、一部分だけ狭くて対向車が行交えないような道路を通行し、狭い部分も終わりかけたところ、反対車線から勢いよく車がやってきました
反対車線の車は停まらなくても、少しスピードを落とせば、私の車が狭い部分を抜けて、自らの車もスムースに狭い部分を通れる感じです

ところが、逆にその車はスピードをあげて、狭い道路に突入してきました。
もちろん、2台がすれ違えない幅の道路です。
私が停車していると、その車は歩道に片輪を乗り上げています。
そして、私の車の右側面をギギギとコスリながら...。

あまりに強引で最初は「脱法ハーブだ」と思ったほどです。
ところが、車からでてきた運転手はかなりのご年配な男性。
こんな荒っぽい運転をしていた当人とは思えないような低姿勢で
「すみません」を連発しています。
「そんなに謝るくらいなら無茶な運転はしなくてもいいのに」
また一つ謎な事が起きて、コラムネタができたなと思っているうちに警察官が到着しました。

お互いの免許証や自賠責保険証を確認し、相手方の車を見て、「いったいどこをぶつけたの」と警察官が男性に質問しています。
今回ぶつけた場所がわからないくらい、元々がボコボコの車なのです。
前、後ろ、両サイド。ありとあらゆる所がボコボコです。
「今回はここらへんかな」
驚きすぎてひっくり返りそうになりました。
もう私の車への接触事故など、どうでもいいです。

この暴走老人の運転は脱法ハーブを超えて、もはやテロ行為のようなものです。
お願いですから、免許を取り上げてください。
運転技術、反射神経云々ではなく、気の荒い3歳児が車を運転しているようなものです。
警察官にお願いしましたが、無表情のまま、警察官は去って行きました。

この年配者もある時期までは、判断力があったけど、その時期を超えてしまって、現在、わからなくなってしまっているのかもしれません。
判断できる、できないを自分自身で見極める事は、とても難しいです。
周りの人々が言っても、所詮、決めるのは自分自身です。

私も、今はわかっているような事を言っていても、将来、暴走老人になってしまうかもしれません。
このコラムを将来、自分のアドレスに受信できるメールサービスに登録しようか真剣に考えています。
自分自身を戒めるのは過去の自分の言葉が一番いいはずですから。

超高齢化社会に突入するにあたって、いろいろ考えさせられます。




追記・・・・・
このコラム執筆後、高齢者が起こす事故がいくつも起きてしまいました。
基本的に運転免許証の返納は、高齢者講習はあるものの、個人の意思によります。

高速道路を逆行した老人は皆、向かってくる車にむけて「反対に走って、あぶないだろ」と怒りながら逆行しているそうです。

「自分だけは大丈夫」そんな過信というか、妄想が事故を引き起こすように思います。

実のところ、私の母親もそんな妄想人です。
他人事ではなく、心底、心配した日々を過ごしています。

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