足元をみる

【 -第254回- 2021年11月1日号】





将来を語る。
5年後、10年後、いや、もっと先の将来を語る人がいます。
将来を語れないより、語れるほうがいいかもしれないけど、遠くを眺めるのが好きな人がいます。
夢や目標を想定し、10年手帳に道筋を書き、時に酔いにまかせて語る。
これはこれで立派だと思うけど、ほぼすべての人たちは、どんな夢かすら忘れて屍とかす。

私は、年末に来年の目標を考えます。
「人の悪口を言わない」「字を丁寧に書く」なんて、がんばれば達成できそうな目標です。
ところが、年が明け1月の中旬には、どんな目標だったか忘れてしまっている。 毎年、これの繰り返し。
来年の目標ですら、この有様です。

マクロ的な予想や評論をする。
将来の超高齢化社会を踏まえた事業がどうとか、AIの発達による職業がどうだとかいう人がいる。

将来の予想があたるかどうか、わかりません。
それでも、そんな予想にそった行動をすれば、いいけど...。
予想や評論をして、将来をなげくだけの人がほとんど。
自分の人生なのに、ワイドショーのコメンテイターみたいに、言い放しで満足してどうなんだろう。と思う。

将来を語ってもいいけど、とかくこの手の人たちは、今日、明日を雑に生きている印象がある。

将来を語るより、日々の歩み、行いをおろそかにしないことが大切だと思います。
そりゃぁ、目的地の予想をすることは必要です。
しかし、すべてのことは、今行っていることの積み重ねの結果なのに、日々の行いを甘く見てしまうことが多い気がする。

遠くばかりをみずに足元をみる。
1歩1歩をしっかりと踏みしめる。
そんな気持ちで、今日できることを今日行う。
遠くは、たまに見るくらいで十分。

コロナ禍が終わり、世の中が落ち着きを取り戻しても、以前とは変わってしまうことがあるでしょう。
少し先の将来すら予想できない。
仮に予想できたからと言っても、どうしようもない。 足元をみて過ごしたほうがいいと思っています。
今回のコラムは、自分への戒めです。




追記・・・・・
毎朝、愛犬の散歩時にかなりの頻度で、ウォーキング中の高齢のご婦人に会います。
杖をつきながら、首を垂らして、真下を見ながら歩いています。
ぶつからず歩けるのが、謎なくらいです。
高齢になるほど下を見て歩くようです。

それで、「足元をみる」なんてコラムでしたが、恥ずかしげもなく撤回します。足元はたまにみればいい。
顔は正面を向いて、胸を張って歩くべきです。

ですよね。

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